日本から唐に派遣された公式の使節。
630年8月に犬上御田鍬を派遣したのを最初とし、894年に菅原道真の建議によって停止されるまで、約20回の任命があり、うち16回は実際に渡海している。
遣唐使船の航海にはさまざまな困難が付きまとい、船酔いもさることながら、円仁の『入唐求法巡礼行記』によると、糒を乾かした携帯・保存食と生水のみで飢えをしのぎながら風雨、高浪を乗り越えなければならず、航行中重病になればひとり異国に置き去りにされることもあった。
また造船技術、航海術が未熟なため、難破漂流することも珍しくなかった。
たとえば753年11月、藤原清河、阿倍仲麻呂らを乗せ、蘇州から阿児奈波島へ向けて出帆した帰国船が暴風にあい、南方へ流され安南に漂着した。
結局、2人は辛苦のすえ帰唐し、望郷の念を抱きつつも生涯唐朝に仕えたのは有名である。